「久しぶりね。元気だったかしら?」 「…まあ、なんとか」 孝之は基地内にある医療施設内に来ていた。この場所に訪れるの久しいというわけではないが香月モトコに会うのは約2年ぶりになる。 「ここには何度か来ていたようだけど…」 「試作機のモニタとしての身体検査にですけどね」 「そう。元気そうね、頬に肉がついて顔色もいいしそんな健康そうなあなたを見るのは初めてよ」 久しぶりに見たモトコは相変わらずだった。そのルーズな格好にくわえ煙草はどう見ても女医として似つかわしくない。だがこの基地内において彼女に対して文句をいう者はいない。 (…香月夕呼博士といい、なんでこの一族は好き勝手できるんだ?) 「なにか言った?」 「い、いえ…」 「そう、ならいいけど…ところで」 「はい?」 「彼女のお父様から連絡があったの?」 「はい。昨日」 「そう…よく、来てくれたわね」 モトコの声がいくぶんか柔らかくなった。 「………」 「あのときのあなたの顔は……忘れようったって、そうそうね」 モトコはかすかに苦く笑った。 遙が事故にあってから一年と少しが過ぎた頃、喀什のハイブのBETAが横浜まで進攻しここは戦場となった。孝之も遙もこの場を離れることを余儀なくされ、遙は軍の施設へ、心身ともに消耗し病人同然となっていた孝之は徴兵もされず東北へ疎開することになった。 ………君の人生をいつ目覚めるともわからない遙のために、犠牲にはできない。君を囲むすべての人が君を心配している。 ……今まで、本当にありがとうございました。ですがもう出会うこともないでしょう。遙のことは………忘れてください。 それが横浜を離れるときの遙の父の最後の言葉だった。月日は流れ、遙と孝之は再びこの街に戻ってきた。だが孝之は遙の病室にくることはなかった。 「…あなたがここに戻ってくるなんてね」 「仕事ですよ。俺の意志じゃない…」 「そう、それで新しい彼女と一緒に?」 「やめてください」 これから遙と会うというのに、新しいとか古いとか、そんな話はしたくない。おもわず孝之の目が険しくなる。 「…それで先生。遙の様子は……どうなんですか?」 「………」 「オレは目を覚ましたとしか知りません。元気……なんですよね」 「彼女が目を覚ましたのは事実よ。傷も感知してるし脳波に異常もない。ただ…なぜ彼女が3年経った今になって目を覚ましたかわからない」 「わからないって…」 「正直奇跡といってもいいかもしれない。医者が奇跡なんて、不似合いだけど」 「でも、奇跡でも、わからなくても遙は元気なんでしょう?」 「残念だけど、ソレも断言できないの。今は元気でも明日の容態は分からない」 「…先生がそんな曖昧でいいんですか?」 孝之は慎重に自分を抑えながら言った。戦場で鍛え上げた精神力もこの状況下では役には立たない。 「私は。いつまた彼女の意識が失われてもおかしくないし、そのときは命に関わると思っているけど…こう言えば満足?」 「……」 いつまた意識を…命に、関わる…… ショックを受ける孝之から、モトコはそっと目を逸らした。 「すみません。先生を責めるつもりじゃなかったんです」 孝之は素直に謝った。モトコは小さく首を振り、いくつか事務的な口調で言った。 「これから、涼宮さんと会ってもらう前に、絶対に、守って欲しいことがあります」 「なんですか?」 「彼女には、あれから3年経っていることを、言わないでちょうだい」 「…え?」 「わかってないの。寝ている間に、3年の時間が過ぎたことを」 孝之が二の句を継がせずに、モトコは淡々と説明した。 「事故のショックによる混乱は、それほど珍しいことじゃないの。でも彼女の場合は3年…それも今のこの世界は…」 モトコは言葉を濁した。孝之はわずかに考えた後、その言葉の意味を理解した。 「……そうか…分かってないんですね。遙は俺たちの街が…この日本がすでに…」 「そう、彼女はBETAが日本を蹂躙する前の世界しか知らないのよ。失われたものはあまりにも多く彼女は今だそのことを知らない。その事実を突きつけるのは危険すぎるわ」 「……そうですね」 3年前、ここにはまだ柊町があった。BETAとの戦争も続いていたがこの基地の外に広がる廃墟にはまだ人々の活気が存在していた。 (…今のこの世界は遙にとって悪夢でしかないのかもしれない) やがて孝之の前に遙の病室への扉が見え始めた。 「なにか見えるの…茜?」 「え、ううん…」 突然の姉の言葉に戸惑う茜。彼女は今、遙の病室内にいた。 「そう…よね。ここは海と空しか見えないもの」 「うん、でもお姉ちゃんも退院すればこの景色も懐かしくなるって」 うなだれる遙を前にとっさに言葉を取繕ったが茜自身、自分の言葉がただの慰めでしかないと分かっていた。 (ここから外にいいことなんて何もないんだよ。姉さん…) あるのは瓦礫の山だけだ。彼女らの家も戦術機の残骸に潰され、今やわずかに家の形をしたものが残っているだけである。2階にあった茜や遙の部屋は見る影もない。そして姉の愛した男もすでに姉を見捨てて別の女とともにいる。その女とは姉にとっての一番の親友であったはずのあの女。 茜の知る限り、世界は遙にとって残酷なものでしかない。だから3年たったということに気付いていない姉を見て茜は正直なところ安堵していた。 「どうしたの茜?」 自分の顔をじっと見つめる妹に対して遙は不審気に尋ねた。 「…えっ…と、い、いや…なんでもないよお姉ちゃん」 突然の質問に答えることができない茜はシラを切り通すことにした。 「なんでもないって、今私の顔じ〜っと見てたよ。もしかしてまだ顔に傷残ってるのかなぁ」 「そんなことないよ。ただお姉ちゃんの顔見てたら、なんかボーっとしちゃって」 「茜…それどういう意味?」 「アハ、アハハハハハ…」 コン コン 「こんにちわ、涼宮さん」 扉を叩く音が2回聴こえた後、香月先生の声が響いた。 「彼を連れてきましたよ」 「…え?」 突然の言葉に最初に反応をしたのは茜だった。 「お、お兄ちゃ…ん」 扉が開くと同時に茜は思わず昔の自分に戻ったかのようにその呼び名を口にした。そして開いた先にいたのはやはり彼、鳴海孝之だった。 「あ…孝之君」 孝之の姿を見た遙ははにかんだ笑顔でその名前を呼んだ。それは3年の月日を越えた言葉だった。 「あ…」 遙の声を聞いた途端、孝之の目から涙が溢れだした。それを見て茜はとても不思議な気持ちがこみ上げてきた。 (なんでこの人…泣いてるんだろう) 裏切ったはずの男、姉を見捨てたハズの男がこうして涙を流している。茜はその場にいることが我慢できず病室を出た。 (なんで…なんでなの) 茜が通路に出た後も孝之の泣き声が部屋の中から聞こえてきた。耐え切れなくなった茜は耳を塞ぎながら足早にその場を離れた。 (今更…なんでよ。あの人に姉さんのために泣く資格なんてないのに…) そう思う茜の瞳からもなぜだか涙がこぼれる。そのこみ上げてくる涙も感情も、それらが一体なにをしめしているのかすらまだ理解できなかった。だから自分の気持ちすら分からない茜はただこの場を去るしかなかった。孝之から、孝之と遙のいるあの部屋から逃げるようにただ去るしかなかったのである。 To Be Next Episode. |